生活

 仕方ないとはいえ締め日と給料日の関係で、働いても働いても金がない。あとで補填されるとはいえ交通費もバカにならない。それに昼飯代と飲み物代も重なって、おれの口座から野口、樋口、諭吉がさようなら。ロウソクの代わりに爪をメラメラさせて先月半ばから今月末まで実質タダ働きの毎日を送っている。アンド通勤と家事に時間を奪われ、そのなかできる娯楽というのはとても少ない。というかない。ここ上谷にはなにもない。襟裳の春と見まごうなにもなさだ。運動ができる公園がない。図書館もない。マクドナルドもスタバもツタヤも、百道浜室見川もない。たまに来るのは紙芝居。

 

 上谷から職場のある菊居までは一時間半ほど掛かる。二日で三ヶ月分のアニメを見終わってしまう計算だ。それでも実家暮らしならそれほど辛くないのかもしれない。が、おれは故郷アッパーイーストサイドから、内戦の止まない中東が如き地図にも載っていない東京の一番端の町で、彼女と赤い手ぬぐいマフラーにしてキャベツばかりを食べる生活を強いられている。おれの妹と彼女の弟が人質に取られ、彼らの命を救うには実家を出るしかなかったのだ。それまで箸より重たい物は人命しか扱ったことのないブラックジャック級の外科医だったおれたちはメスを捨て、炊事洗濯家事あられをこなすことになった。つまり仕事が定時に終わっても通勤と掃除、炊事と洗濯、戦争と平和が待っていて、あっという間に風呂に入って就寝する時間になってしまう。おまけに三日に一度は継母と義姉たちがいじめにくるし、婆さんはおれが可愛がっていた犬を殺しスズメの舌を切ってどこかへ逃がしてしまうし、ああ最低限の文化的な暮らしはどこに!

 

 さらに職場環境がおれを苛む。さいなむと読む。日に8時間、週に40時間も立ち仕事をしながら、接客やらバスケットボールやらスパイダーソリティアやらをやっていたら傭兵時代にザンジバーランドで発症した椎間板ヘルニアを悪化したのだ。腰が痛い。下半身が常に痺れてる。手に力が入らない。どんな拷問や自白剤にも耐え、緑の淡麗たる麒麟と東西どの陣営からも恐れられたおれがヘルニアに苦しめられるとは。ハートマン軍曹が見たらなんというだろうか。それにストレス性の痺れが背中と肋間筋でビリビリしてるし、最低限の健康的な生活も危うい。

 

 ぼろぼろになって働きながら休日。誰の目にも明らかに不自然かつおれにとっては痛みが一番和らぐ体制でそろそろと動き、トイレと残りの人生をピカピカにすべく西友ドメストサンポールを買ったら「これ混ぜたら死にますからマジやめてくださいね」とレジで店員さんに注意された。さらに天ぷらとスイカ、蟹と柿、ヤギとキャラメルフラペチーノが買い物かごに入っているのを見て店員さんは「あんた、食べ合わせも知らねーのか?」とあきれ顔。しょんぼりしながら店を出ると、携帯電話に着信。犯人からだ。なんの? 妹と彼女の弟を人質にとった卑劣な犯人だ。はやく助けにいかないと人質に囚われた妹と彼女の弟の命の危険が危ない。可及的速やかに急がなければ。

 

 ヘルニアの痛みも忘れて駆け出すと、長良川のあたりで犯人の手先に行く手を阻まれる。曰く、最短ルートを通りたければここで水鳥を使って鮎を捕獲しろとのこと。遠回りすれば一時間以上も掛かってしまう。くそっ、人命が掛かっているときにどうして鮎なんか捕まえないといけないのか。しかもわざわざ鳥を使って。瞬間、おれはある事に気づく。犯人の手先が笑っている。

 

 どちらにしても、うかいするしかないのだ。