誰何亭何某全まくら集序文

 2010年代末期に動画サイトが産んだ、落語家・誰何亭何某(だれなんていなにがし)は相田学、橋本康一、今庄寛の3人が名前と顔を隠し、共用していた高座名である。


 彼らはそれぞれの思惑から高座名の共有という奇妙な計画を実行したが、大学の落研あがりのサラリーマンの相田のみが現在は二代目誰何亭何某を名乗り、コメディアンであった橋本が俳優としてドラマや舞台に活動拠点を移し、本来ならば2つ目、真打ちとしてまっとうな落語家人生を歩めたはずの今庄が失踪するという未来は誰も予想していなかっただろう。


 中でも今庄の誰何亭は人気も高く、本数が一番少ないながらも動画ごとの再生回数は最も多かったことから、現在のような結果になってしまったのは痛ましいことだ。


 本書は初代誰何亭何某が自身のアカウントでアップロードした全144席の中から、まくらのみを収録したものである。


 留学経験があり、英語に堪能であった相田は海外向けに翻訳した字幕をつけるためにまくら部分も一度テキスト化し、初期には時折自身のプライベートなSNSアカウントで公開していた。


 テキスト化ということから考えればこのまくらはすべて相田によって制作されたものとすることもできるが、字幕は橋本と今庄の場合にもつけられており、アップロード前に相田が書き起こしたと考えるのが自然だ。


 しかし橋本が明らかに今庄が受けたであろう兄弟子からの不平不満を元にしたまくらを語っているものもあり、高校卒業後すぐに見習いとして四遊亭炎烙に弟子入りした今庄がサラリーマン生活に基づいたまくらを語っているものもある。これは設定上、誰何亭何某は1人の人物であるという原則に従い、彼らがまくらも共有していたと推測されるが、このことに対し、相田と橋本は共にノーコメントを貫いている。


 誰何亭の動画には広告がつけられていなかったことからも分かる通り、彼らは落語を一席演じることのみに興味があり、まくらの共有が事実ならば誰何亭何某という架空人物を実在させることを楽しんでいたことがわかる。


 筆者が相田に接触したとき、正直に、二代目に初代ほどの魅力を感じないと伝えたところ、相田は笑って答えた。


「3人よればなんとやらといいますし、事実あの時、3人でいたからこその化学反応があったと思う」


 失踪中の今庄はともかく、相田と橋本には以前のような交流はないという。


 筆者には初代誰何亭何某の復活を願うつもりはない。ただ実際の落語家として考えれば特に秀でたものがあったわけではない、奇をてらっただけの架空人物が、瞬間最大風速的に見ればWeb上に寄席を再現したという事実に、どこかロマンチックな感情を抱かずにはいられないのだ。