おれと未来

両国という、ふとっちょカーストの頂点にいる(ブタ→ピザ→デブ→クマ→デカイの順に偉い)方々が、日夜、ぶつかり稽古やてっぽうに汗を流し、かわいがり、八百長に精を出していた由緒ある相撲の聖地に行きました。江戸東京博物館に行くためです。

さて、ここはどんな場所かというと、江戸時代から明治維新、昭和戦前・戦後までの東京の歴史・文化・風俗などが学べる日本史マニア垂涎の博物館です。まあ、ナポリで食べられてるからナポリタンだし、フランス生まれだからフレンチトーストだし、メロンパンはメロン味だし、たぬき蕎麦にはたぬき肉が入ってますから、江戸東京博物館と名のっているなら言わずもがなですね。

で、もう何度も言ってるけど、おれはここしばらく落語を聞いていて、落語ってのは上方もあるけど、たいがい舞台といえば江戸で、奉行といえば大岡忠相で、大家といえば親も同然、店子といえば子も同様なんで、江戸時代には自然と詳しくなる。トリビアもバンバン言える。例えば、よく時代劇で江戸城天守閣がばーん! って出てるけど、実は途中で火事で焼けちゃってるから、時代考証的に矛盾が生じてるとか、江戸時代には平均すると3年に1回は大火という大火事が起こったとか、比叡山に焼き討ちをかけた時に、織田軍の容赦ない攻撃に坊主たちが「ひえー」と恐れをなしたとか、そういう色々なことを知っている。

だからもう、数字を見ると日本史の出来事が思い浮かんじゃうし、鳴かぬなら鳴くよウグイス平安京エイリアンだったりするから、解説を見るまでもなく、あー、仇討ちね。あー、遊郭ね。あー、荻生徂徠ね。ってこうぽんぽん。ぽんぽんうぇいうぇいうぇい、ぽんぽんうぇい、あれこれこないだ言ったやつだ。いやまあとにかくわかる。見える。わたしにも敵が見える。

でもこれが世界史となるとわかんないんだよね。落語にナポレオン出てこないし、イブン・バットゥーダ出てこないし、カノッサの屈辱を面白おかしく語った『法王怖い』を桂枝雀が一席演ってくれたりしてないから。だから例えば1786年、老中・田沼意次が解任されたその頃、ヨーロッパでは何が? みたいなことはわからない。そりゃ、さっとスマートフォンを出してスラスラって調べればわかるよ? フレンチトーストの由来が本当はアメリカだっていうのもわかる。でもこの「さっと出してスラスラ」っていうのが、現代テクノロジーで如何に短縮された結果といえども、「見える」とは違う。ピピピピ……1786年はモーツァルトの「フィガロの結婚」が初めて上演された年です。って疑問に思った瞬間に教えて欲しいんだよね。

iPhoneの3GSが出た頃は、この「見える」未来が、端的にいうと「便利」がやってきそうなワクワク感があったんだけど、なんというか最近は瞬間最大風速を如何に出すか? みたいな方向に全力を出してる気がして、もうみんな知識的便利は望んでないのかなー、あるいは便利はお金にならないから、シェアシェアシェア、YouTubeYouTuberYouTubest、ってことになってるのかなー。でも知識的便利を発展させてないその割に、豊富なインプットに裏付けられた批評は、なぜか人間性や人格が優れてないと聞いても貰えない、つーか、お払い箱にされてるきらいはある。などと邪推あるいは愚考してた。そんなことだから仕事が決まんねーのかな。あはは。って笑い事ではない。ここで言うべきは、とほほ。