おれとワイシャツとわたし

今月のPVが200になりました。ということは、1回あたり100円をもらっていれば……というのはもういいとして、ありがとうございます、ありがとうございます。これで嫁にパンティを買ってやれます。っておい! 広告系のやつを何も載せてないから、200回見てもらおうが、25342997269^256見てもらおうがおれには1円も入ってこねー! さりとてそういうののやり方はわからない。まあ良い。良くないことが他にある。

洋服問題である。おれは興味がないものを選ぶのがとても苦痛で、例えば昼飯とかどうでもいい。だからいつもサンドイッチ屋の日替わりサンドを頼んでいる。店員もおれの顔を覚えて「いつものですね〜〜」となる。少し恥ずかしい。さて、通勤で着る服もそれに当たる。どうでも良い。別に既婚者だし、仕事中までおしゃれになんかかまってられん。ということで、だいたい決めてそれをローテーションしている。で、お気に入りの服だけ、週末に着るのだ。

ところが平日と週末は当然のことながら日数がちがう。平日は5日。週末は2日。するとどうなるのか。どうでもいいはずの平日の方が服のバリエーションが良く、どちらかというとおしゃれをしたい週末にいつも同じ服を着るというパラドックスが起こる。なんたるちあ。しかし解決方法などは皆目見当がつかない。おれはこのまま逆転現象を抱え、土日にいつも同じシャツと短パンで、代々木公園の入り口でロカビリーを踊らなければいけないのか。ああ。毎日が暗い。

おれと舞城

昨日、舞城王太郎の「淵の王」を読み終えた。やっぱりお金もらって書かれた怖い話っていうのは2chの洒落怖の比になんねーなーっていうか、まあ有料のものがすべて無料のものに勝っているとは思わないし、そもそもおれは舞城が大好きだからそこに贔屓とかバイアスとか余計なものがあってそう思うのかもしれないけれど、あぁ舞城っていい! 全317ページ、3章だてのおもしろ怖い話を読み終えて、ぱたんとページを閉じた。そしておれはこないだ手に入れたこれまた舞城の「イキルキス」を読み出す。

「イキルキス」は5年前に出た作品で、去年出た文庫版には書き下ろし短編が2編追加されてるらしい。読めるのはずっとあとになるけれど、安くてしかも内容が増える文庫化ってなんかずるっちい感じがしないでもないが、おれだって「イキルキス」を最初に読んだときは図書館で借りたものだったし、今再読しようとしてるのはBOOKOFFで安く買ったやつだ。ちなみに両方ハードカバー。だから書き下ろしの内容は未だに知らない。

で、一度読んでたやつだからか、「淵の王」を読み終えてテンションがあがってるからか、おれは226ページの「イキルキス」をわっと読んでしまう。最初に読んだときよりも面白かったような気がする。愛と暴力の3編。

そのままの勢いで今度はAmazonで、渾身の全力投球である「ディスコ探偵水曜日」の上下巻を注文。今度も古本。ごめんね舞城。「ディスコ探偵水曜日」は、うっわ意味わかんないでもなんかわかるおいしい食べづらいおいしいって感じのフルコースが1000ページ以上続くメタハードボイルドミステリーSF小説で(ほらもうわかんない)、個人的にはそれまでの集大成的な作品だと思っている。そのあとの「ビッチマグネット」、「イキルキス」で緩やかに今の段階に移行したんじゃないかな。

今の段階っていうのは、怖い話というのもあるんだけれど、感情とか一般論とか同調圧力とかに負けない論理的な主張を、周りの人とある種、バトルのように交わす貫く突き通すお話がベースになっている。んで、怖い話っていうのもその感情とか一般論をオカルトな存在として描いたに過ぎないようにも思える。

でも正直言って読みこぼしている作品もあるので、このおれの印象というか舞城論は正確さを欠いていて、うーん。となっているところ昨日の深夜に頼んだ「ディスコ探偵水曜日」の上巻がもう届く。すげーな、現代社会。未来。Amazon。ドローン。いや、ドローンじゃなくてクロネコヤマトさんなんだけど。おわり。

おれと深夜百太郎

ひとことで言うとおれの好きな作家が深夜百太郎というツイッターアカウントで掌編を書きはじめて怖くてオススメだよっていう話。

一番好きな小説家は筒井康隆だ。なぜなら最強だから。具体的にどう最強なのかというのは又の機会に話すとして、だったらそんなこと書かなきゃいいじゃないか、でもねおれはいつのまにかこういうことを書かないと文字が書けなくなっているんだよ。なにそれ、怖い。呪い? カルマ? 病気? あー病気かも。それはそれとして。

他に好きな作家に舞城王太郎がいる。

舞城は乙一桜井亜美と撮ったオムニバス映画「ぼくたちは上手にゆっくりできない。」のツイッター宣伝アカウント・終世終太郎(ついよついたろう)で、文字ラジオと称して夜な夜な、小説みたいなものを書いていた。たしか本人だとは明言はされてなかったんだけど、もうこれはクワトロ・バジーナぐらいシャアで、タキシード仮面ぐらい地場衛なのであった。なぜかそこでは舞城の変名である愛媛川十三が愛姫川十三に、舞城王太郎が舞城玉太郎になっていて、意味分かんないよね、なんでそんなことするんだろう、文章は分かりやすい読みやすいほうがいいじゃんね。呪い? カルマ? おい、てめえが三島賞作家と同じだなんて戯けたこと書いてんじゃねーぞ。それはそれとして。

映画の公開が終わった現在、このアカウントのツイートは感謝の言葉だけを残して全消去されている。なんともったいない! 舞城はけっこうそういうもったいないことをやる。評判がいいのに単行本未収録の短編なんてざらにある。おれはファンではあるけれど、舞城の1編を読みたいがために文芸誌を買うほど本棚と財布に余裕はない。まあそれはワガママかもしんない。シングルCD買わないマンみたいな。でもコンピレーションアルバムでしか聞けない曲がトータルでアルバム2、3枚はあると考えるとやっぱりそこまで追いかけるのはちょっとつらい。

終世終太郎のアカウントでは、映画の宣伝と愛姫川十三のところでバイトをしている人の近況というていのちょっと怖い話、あと舞城玉太郎が書いた『乙一』、『桜井亜美』、『終世終太郎』というタイトルの掌編が載っていた。ちょっと怖い話は『添木添太郎』とか『ンポ先輩』ぽい感じ。神社とかお祓いとか出てこない洒落怖のようなものだと思ってくれればかまわない。人名をタイトルにした掌編は「好き好き大好き超愛してる。」の中に出てくるSFのようなファンタジーのような話だった。

最近の舞城はミステリとかメタフィクションよりも、ちょっとスピリチュアルなじわっと「なんだこれ、怖……」ってなるところにアンテナがむいてるらしく、今度出す『淵の王』という単行本も『新潮』に載っていたのを読んだ人の感想によると怖い系らしい。

で、深夜百太郎なんだけど、おおやっと話が戻ってきた、これは『淵の王』の発売に合わせ、怪談(カウントは◯太郎)を毎日23時に配信する百物語のアカウント。前日、前々日の2つはそれほどでもなかったけど、今日の三太郎「地獄の子」がゾクッと怖い。話の最後にアップされる白黒写真なんか脳内補正で勝手に心霊写真に見えてくる始末。

きっとこの深夜百太郎も百語り終えたらすぐに消してしまう気がするし、目が話せないのだが、舞城で九十九というと、まさかあの名探偵出す? と気になってしまい、落ち着かない震えが止まらない。

おれとウドのコーヒーは苦い

マンガとかアニメにおけるロボットっていうのは、だいたい貰ったり、作ったり、奪ったりするものと相場が決まっていて、しばしば業界ではこれらを指してロボットの三大工場と呼ぶ。その中でも一際多いのが「貰う」である。

貰うにもパターンがあり、親から貰う、博士から貰う、宇宙人・古代文明人から貰う、その三つが一般的だ。ロボット三原則を定義したことで有名なSF作家アイザック・アシモフが、このことをロボットのスリーポケットと呼んでいたのはあまり知られていない。が、それはそれとして、日本で最も有名なロボットも例にもれず貰ったロボットだ。

しかし、その知名度とは相反して送り主がレアケース。ずばり玄孫。つまり孫の孫、やしゃごと読む四親等の直系親族から送られている。単に未来人というならば宇宙人・超古代文明人パターンの亜種で少なくはないし、未来の自分でした! っていうのも割とよくある話だが、玄孫て。竹田なんちゃらって人が明治天皇にロボットを送るようなものだ。まったくどうしてそんな設定にしたのか。奇妙奇天烈である。摩訶不思議である。奇想天外四捨五入である。出前迅速落書無用。

ついで有名なロボットは基本的に兵器として軍からの支給品という扱いで、厳密にいえば貰うとはちょっと違うのだが、親パターン、博士パターン、古代文明パターンとシリーズを通してスリーポケットをコンプリート。更に、作る工場、奪う工場のシリーズも存在し、ある作品では親の作ったロボットを奪って、その技術を用いて自分でも作ってしまう主人公も存在する。

最後に忘れてはならないのが、三大工場とは別に、ロボットだけど超生命体ですとか宇宙人が地球で暮らすためにロボットに身体を間借りして勇者やってますという、私がロボット星の存在だが、これについてはまた次の惑星間戦争のときに語るとして、恐ろしいのは先に挙げた玄孫から送られたロボットの主題歌がまさしくそれであり、つまり私がロボットといってるのと同義であって、やっぱりFはすげーなーって。

おれと亀2

で亀がおれに「おありがとうございます。お礼にぜひ龍宮城まで」って喋ったら、このまま浦島ルート一直線ってことになんじゃないかなフハ。って半笑いでまた流木をぶんぶんしてたら、なんたるちあ。亀は喋った。マジで? いや本当は、なんつーか声って感じではなくて、でも直接脳内にって感じでもなくて、亀の考えていることが何となく分かっただけ。だから喋ってはいない。でも意思らしきものが理解できてる。うひー、長年の投薬治療のせいで、とうとう頭イカれたかおれ。統合失調なんちゃらってやつになっちまったんじゃねーのか。混乱するおれの心情をぜんぜん察しない亀、曰く「助けてくれてありがとうございました。実はわたしはこの星の生き物ではありません。」あー、そういうパターンね!
 この亀、でなく宇宙人は宇宙船が故障して修理の材料を探しに海岸に出てたいたところ、先ほどの子どもたちに見つかってしまって、亀サッカーの刑に処されていたらしい。嘆かわしきことに子どもの残酷性は、惑星間を超えるのに十分な暴力になりうるのだ。宇宙人は、ああ、自分はこんな辺境の惑星で訳の分からない巨人たちに襲われて死ぬんだ。悲しい。よよよ。となっていたところに、おれがウラシマって助かったとのことだった。
「宇宙船の修理って海で取れるものでなんとかなるもんなの?」
「なるもんなんです。自分もよくわからないんですけど、取説の『こんなときは?』ってFAQに書いてあったし、ネットでも海からミネラルとか微細な金属とかをアレコレして直るって言ってるブログが」
 ふーん。まあそういうものかもしれない。おれも電子レンジの仕組み、はまだなんとなくわかるけど、FAQとかネットの情報に従ったら何故か直ったっていうケースは体験したことがある。
「ていうか、あなたリアクション薄いですね。たしかこの星ではまだ異星人との第三種接近遭遇ってメジャーではないはずですけど」
 第三種接近遭遇? なんかで聞いたことがある。そうだ。UFOを見るのが第一種。UFOにどうにかされるのが第二種。宇宙人と話すのが第三種。おれはSFとかが好きで、そういう知識は無駄にある。
「本とか映画とかで慣れてるからかな。特にこの国はアニメっていうものがあって……」
「あ、アニメ。わかりますよ。ガンダムのことですよね」
「え、ガンダム知ってんの? でもガンダムに宇宙人出て第三種なんちゃらっていうのはダブルオーの劇場版ぐらいだし、アニメイコールガンダムつーのはちょっと違うけど。てか、なんでおれと君はこうやって会話出来てるの?」
「それはこの外骨格型スーツに内蔵されてる機械が、あ、サイコミュみたいなのがですね」
「大丈夫。ガンダムに例えなくても大丈夫」
「ですか。原理的にはわたしとあなたの語彙で似たものに勝手に変換して伝えてくれるみたいなんですけどね」
「あー、だからやけに君の話し方が地球の、日本の、それもごく一部の人種風なの」
「そうなります」
「すげえじゃん」
「ですかね」
 宇宙人の感覚はわからない。自分の星よりも文明の遅れている星に来たら、ふうん、こんなものも知らんの? あはは。ほやったら、これも? これも知らん? アホや。うちだったら、田舎のガキもジジババもびゅんびゅん使いこないしてるけどね。昔モンと話してるみたいで笑けるわ。げらら。とかやりたくなりそうなもんだけど。すげー淡々としてる。そこら辺は高い文明人との差か。声色が分からないからっていうのもあるかもしれない。
「助けてくれてありがとうございました」
「あ、いいよ。別に。なんか見てて気分悪かったし」
「なにかお礼を出来たらいいんですが」
 来た。ウラシマ展開。そういえば、光速に近いスピードで移動すると時間がゆっくり進んで、相対的にタイムスリップしたようになるのをウラシマ効果って言うなあ。そこからきてるか忘れたけど、龍宮城が別の惑星説とかそういうのあったな。わかってますわかってます。宇宙人って段階でこういうパターンなのは予想できましたから。おたくの星について、地球に戻ってきたら300年後とかそういうのなんでしょ。わかってるわかってる。
「でもうちの星に連れて行ったり、こっちのテクノロジーを渡したりとかっていうのは出来ませんけど」
「え」
 まじかよ。そらすパターンなの?

おれと二択

けっこう違うものなのに、同じもの扱いされているみたいなものがある。例えば紅茶とコーヒー。そばとうどん。ごはんとパン。

おれの彼女はコーヒーが好きで、コーヒーメイカーでずごごごとコーヒーを作っている。知ってますか? コーヒーメイカーでコーヒーを淹れるときはすごごごって音がするんですよ。おおよそ人の飲み物を作るときに出る音とは思えない、ずごごご。とは言え、料理の音なんてそんなものかもしれない。最近、厨房に立つことが多いから分かるけど、じゅばーとかぞごーしゅとかしゃかんしゃかんとかそんな音がして料理というのはできるのだ。たとえ全自動洗濯機とか蒸気機関車みたいなずごごごでもおいしいコーヒーが飲めるに違いない。

で、ずごごごを飲んでる彼女がコーヒーだとカフェインを摂りすぎるので紅茶にしましょうという記事をファッション誌で見つけ、「別物じゃん!」と憤っていた。言いたいことは分かる。味がぜんぜん違う。おれだってコーラを飲む代わりにサイダーにしましょうという記事を見たらその雑誌をビリビリに引き裂き、編集部に抗議の電話をかけ、スポンサーに苦情のメールを送り、BPOに審議を要求する。BPOの管轄はテレビだというのは分かっていてもそうする。

うどんとそばも「違えのになんでみんな比べたがるのよー!」と友達が言っていた。粉から違うからね。だったらそうめんもラーメンもスパゲッティもビーフンもフォーも候補に入るじゃんね。

結局のところ、見た目とか必要とされる場所やタイミングが似ていると、本質はどうあれ同じもの扱いされてしまうのだ。恐ろしい。それでもそういう世界で生きていくしかない。

しかし、それで損ばかりしてるかというとまあそんなことはない。こないだ蒼井優の家でチェスをやってたらすっかり暗くなったときに「夕飯食べていくよね? そばとうどんどっちがいい?」と聞かれ、あの、やきうどんってだめですか? と質問に質問を重ねたら「あー、それは思いつかなかった。ていうか聞いたらめちゃくちゃやきうどん食べたくなった。君って天才」となってチェックをメイトしまくって「今度はバックギャモンで勝負ね」と次の約束を取り付けたし、おととい広瀬すずの家に遊びに行って「ごめんなさい、あたし炭酸苦手で、オレンジジュースしかないです」と言われたときもおれは大丈夫、むしろ水でいい。と言ったら「よかったー、いつもコーラ愛に溢れているから怒られるかと思ったあ。ていうか水ですか。コストパフォーマンスに優れてて素敵!」となって今度一緒にレオパレスで壁紙を選ぶことになった。すずは牛柄とにわとり柄で悩んでるらしい。なんでその二択なの? って聞いたら「だってビーフorチキンってよく聞かれるじゃないですか」だってさ。女優やってる人はやっぱりぶっとんでる。

おれと洒落怖

なんとなく哲学ニュースにまとめられた怖い話を読んでるんだけど、「洒落怖」よりも「ほんのりと怖い話」というのがぞくぞくして良くて、多分それは短さかなと思った。

霊がいるいないはさておき、本当にあったこととして書いてる投稿者としては、やっぱり信じてもらいたいだろうし、怖がってもらたいはずだ。だからリアリティを持たせるために、突然「こらあ、貴様何しとんじゃ!」と激昂する爺婆たちのセリフをまるでインタビュアーのように一言一句余さずつぶさに書いてしまうし、もう何年も前の話だったはずなのにやけにしっかりとしたディテールで書いてしまう。その結果、長文になる。投稿者が嘘書いているとは思わない。見間違いだったけど、その瞬間は確かに人に見えたことぐらいならおれにだってあるのだ。けれどその瞬間を尊重するあまりに、過剰な文章になってしまってぞくぞくしなかったり「あー、このパターンね」となってしまう。だって自分が何をするつもりでもなかったことでいきなり怒鳴られたのに、相手の言ってることを正確に把握するなんておれにはできないし、恐怖体験をしたその瞬間を覚えているのは分かるけどなんでもないその前段階を細かく覚えていることもちょっとできないから。

要するに突っ込みどころが増えてしまうことが興ざめの原因だと思う。普通、物語を作るときに設定は凝るに越したことはないと思うけれど、こと、実話だったりムードが大切なタイプの話では一概にそうとも言えないのかなーなんて思う。

よくできた怖い話で、このなんとなく科学的、どんとこい超常現象的に説明がつきそうな部分だけは本当であとは全部他の人の話とかを混ぜて膨らませたんだろうなって思うのもある。それに限らず殿堂入りしているような怖い話とかは、多分その道のプロ級が書いているのだ。YouTubeニコニコ動画でプロ並みの演奏や映像をアップしている人がいるのだから、テキストでもそういう人がいるのは不思議じゃない。

そしたら急に「電車男」を思い出して、あーあれもそうなんだろうなーって飛躍。